社会の話し。
就活で色々な企業の説明会に行った。そこではほぼ全ての企業が「社会貢献」とか「人々の幸せ」とか「環境保全」とかいわゆる「良い事」を言っていた。
翻って、学生の方も、質問やESなどで「人の役に立ちたいです」「人々の笑顔を守れるように」「何か貢献したいと」などといった言葉を出していた。
「良い事」を言う会社と学生がこんなにいるのだから、きっとこの社会は「良い社会」なんだろうと、皆が皆の事を考えて、人の幸せの為に行動出来る、素晴らしい社会なんだなあと思った。
と、ここまではシニカルな話し方をしたのだけど、実際どうなんでしょうね。学生の方がそんな良い事を考えてないのは自分の胸に手を当てれば分かることだ。会社はどうだろうか、スクエニが「人々の幸福のために」なんてのを押しだしていたけど、正直FF11とかで廃人や引きこもりを量産している会社が言う事ではないと思った。それだったら「究極のゲームを作りたい」だとか「楽し過ぎて人生狂う程のゲームを作りたい」なんて言っている会社の方が入りたいと思うし買いたいとも思う。
就職活動ではよくその会社の企業理念を知る事が重要と言われているが、面接対策とかで企業理念程度は抑えておくのは当たり前というのはわかるけども、実際の社員はどのくらい企業理念を日々考えて働いているんだろうね。少なくともある某大手の鉄道会社の社員は企業理念の文をそらんじられませんでした。
まあそういう社会の建前は置いておいて、街ゆく人々が素晴らしい考えで生きていると想像して電車に乗ってみると、中々素晴らしい世界が見えて来る。しかめっ面している50過ぎのおじさんも、きっと人々の幸福の為に真剣に働いているんだ。と思ったら、仮に電車降りるときに肩がぶつかってもちっとも嫌な気はしないのだ。
言語の話し。
前に言語学の授業で「言語に優劣は無い」なんて事を聞いた。最初はそうだろうか、と思ったけどよくよく考えると確かにそうだ。
何も平等主義な事を考えたわけじゃなく、例えば語彙が少なくて文法も単純な言語があったとして、それが劣っているかと言えばそうでは無い。その言語は逆に習得が容易で波及性が高いというメリットを持っている。
つまりは得意不得意の話しである。言語に(総合的な)優劣は無い。部分的な優劣はある。
そこで思ったのが、日本語は本や文章にした時に本当に優秀な言語だなあ。という事である。語句の圧縮率は中国語が上だったりするけど、そうじゃなく表現として、まず漢字、カタカナ、ひらがな、の三つで表せるのも良いし、言葉遊びも出来る(回文やアナグラム、韻を踏む等は英語とかでも出来るけど)。どこかでフランス語だか英語は小説で誰が発言しているかわからないから「○○○○」と誰々は言った。なんて付ける事が多いけど、日本語の場合は誰が言ったかはすぐに分かる。ただラノベの「~ですわよ」「ミサカはミサカは○○○と言ってみたりっ」とか「全く○○はうぜぇですぅ」みたいな語尾によるキャラ分けはファックな風潮だとは思う。
とまあ文章における日本語を持ち上げてみたけども、実際英語も誰が発言してるかわかる言い方あるし、日本語の「~~だお」「~~でござる」みたいなのに相当する言い方もあるし、実際どうなのかはわからないけどね。別に言語学専攻じゃないので。
ただ何かを書くときに「日本人で良かったなあ」と思う事はあるし、日本語は自分にとって使いやすくて非常に魅力のある言語なので、良かった良かったというチラ裏です。
おしまい。
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