2013年3月16日土曜日

19day アニメとか漫画とか、裏側をあまり知りたくない

アニメは心の栄養なんじゃあ~
異世界に憧れるんじゃあ~
キャラ可愛いんじゃあ~
癒されるんじゃあ~

さて、そんな夢のようなアニメだけど、当然作っている人がいる。
過酷な労働環境の中でアニメを作るアニメーターの人がいる。
キャラの声だって声優がいる。
自分はそういった裏事情はあまり知りたくないのだ。

アニメといえばそれに加えて声優の知識を持っている人がいる。すぐに「これ○○さん?」と知識が出てくる。そういった見方はアリだし、自分も有名な声優(若本とか釘宮とか)は「お? あの人か?」とか思う。 ネタアニメだとそれも楽しむ事が出来る。(女子高生ヒロインの声優が37歳とかのネタ)

でもあまりそういった所謂『中の人』は想像したくないのだ。ディズニーランドいってミッキーの中の人を想像したくないのと似てるかもしれない。

物語を純粋に楽しむときは、その物語の中に入っていたい。良いアニメというのは自然と入り込めるアニメだ。

しかしふと、「このヒロインの声優花澤さんか」とか、「アニメーターの人ここ頑張っただろうなあ」と思うと物語の没頭から覚めてしまう。

ここで確認しておきたいのが自分はアニメの裏舞台が嫌いなわけではないと言う事だ。アニメを作画という視点で見るのも好きだし、板野サーカスをはじめとしたアニメーターの技術の結晶は感動に涙を浮かべる時もある。

そういった裏舞台を意識した視点でアニメを見るのは好きだが、そのさらに上の「純粋に物語に入り込む」ステージに行くためにはそういった裏舞台の記憶はそぎ落とさなくてはならない。

実際は記憶をそぎ落とす事は無理なので、アニメを見ているときは3割が裏舞台。2割がストーリー構成。5割が物語への没頭という割合で見ている事が多い。押井守とか新海誠の映画だったなら「あ~押井っぽいな~」というのが7割かもしれない。

自分が専攻しているゼミの文学研究でいうとテクスト論と言えるのかもしれない。書き手や時代背景は一切考えず、ただ物語を論ずる。作家は単なるテクストの製造機であり、生い立ちや顔は製造機にネジが一本付いてるか付いてないかのデザインの差程度のものである。

なんかそういうものを突き詰めていったら物事の真の形「イデア」が見れそうな気がする。いや、そんな大層な事は考えていない、ただ物語に没頭したいだけだ。

まとめるとアニメを見る時、好きな見方を10段階で評価すると、裏舞台込みのアニメ鑑賞を8とすると、アニメに完全に没頭した鑑賞が10という事で、この10段階目でアニメを見続けるのは難しいという事だ。


ちょい足し:晩年のピカソが落書きみたいな絵を書いて「やっと子供みたいな絵を描けた」と言っているが、これは少し理解できるかもしれない。絵画というのは社会的意義だったり、何かの象徴だったり、訴えたい事だったり、そんな事が込められている。しかし子供の絵というのはそんな事は考えず、ただ純粋に絵を描く。ピカソも色々な絵のスタイルを経て、最後の子供みたいな純粋な絵に辿り付いたのではないだろうか。


おしまい

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