2013年3月7日木曜日

10day エネルギーとかカロリーとか食べ物とか

①エネルギーは肉体、頭脳以外からも出て行く?

食品の栄養素を見ると必ず何キロカロリー(cal)といった表示がある。人はビタミンとか鉄分とかそういったものも必要だけど、何よりもまずこのカロリーがないと活動する事が出来ない。

単純に走ったり運動したりしてエネルギーを消費すると食べ物(カロリー)を摂り入れてエネルギーとする。
長距離自転車競技は走りながら水や携行食品を食べる稀有な競技であり、自分の体の残りのエネルギーと今摂取すべきカロリーを計算するのも優秀な選手の条件らしい。

このエネルギーとカロリーの関係は何も運動だけではない。単純に頭脳労働するだけでもエネルギーは消費する。気合を入れて数時間集中したらお腹がペコペコになったという覚えは誰にでもあるはずだ。
因みに個人的な偏見だが沢山食べても全く太らない女性は体質という要因もあるが、常に頭を働かせているから太らないのという推測から=聡明な女性という事で中々ポイントが高い。逆に太っている女性は体質のせいもあるが自己管理不足と怠惰さをどうしても感じてしまう。

さて頭脳労働と肉体労働の消費カロリーはどの程度なのだろうか。参考値を書いてみた。

一時間の机で事務仕事をした場合のカロリー消費は体重65kgの人で117cal
一時間のサイクリングで321cal クロールは1459cal ちなみに入浴が238cal 睡眠66cal
らしい (http://j-diet.co.jp/htm/diet/diet_main30.htm)

頭脳労働は運動ほどカロリーを消費しないようだ。しかし世の中には何かの頭脳労働に没頭、特に芸術に没頭した人が数日でゲッソリしたという事がある。単純に没頭しすぎてご飯を食べていなかったのかもしれないが、頭脳労働だけのカロリー消費でおこった事だとはにわかに信じがたい。

一部の天才ならば未知のパワー常人の5倍頭を働かせて毎時間500cal消費することも出来そうだが、そういった未知のパワー含め、人間には未知のカロリー消費の手段(=エネルギーの放出)があるのではと考えた。

小説家、美術家、映画監督、そういった芸術家達は作品に魂を込めるとよく言われる。芥川龍之介は一文字一文字に物凄い魂(エネルギー)を込めたそうだ。そういった魂を込めるという行為が、頭脳や肉体からのカロリー消費を超越した消費になっているのではないか。

何も自分はここで実際に魂が出てカロリーが消費されるといったオカルトを言いたいわけではない。自分は魔法を信じたいロマンチストな所はあるが科学は否定しないし質量保存の法則も尊重する。カロリー消費の基本は頭脳か肉体だ。

しかし人が魂を込める程真剣になるとき、頭脳は活発化し、筋肉は脳に血液を送るため運動し、肺は集中のため酸素を効率よく吸い込み、眼球は血走り、指先も力みで震え、体の全てが目的の為に機能する。ゆえに消費されるカロリーも通常の何倍にもなる。
そしてこういった現象の総称を「魂を込める」というのではないだろうか。


②カロリーがある=エネルギーがある=燃える?

高カロリーな食品がある。それは肉だったり脂身だったり、チーズやバターといった脂肪分だったり。そして高カロリーな食品は水分が多くなければほとんどの物が燃える。脂身は良く燃えるしバターも燃える。むしろ水分を抜いた状態で燃えない食品を探すほうが難しいのではないか。

このようにカロリーは人間に摂取されてエネルギーになるだけではなく、熱エネルギーにもなれる。(というかそもそも食品にどれだけエネルギーがあるかを数えやすくしたのがカロリーだけど)

裏を返せばよく燃えるもの=高カロリーという事だろうか?
アルコールはよく燃える。そしてアルコールは実はカロリーが高く、日本酒100ml飲んだだけでも100cal以上摂取している。酒は太る。
じゃあガソリンは? これは1リットルで8400ものカロリーがある。物凄い。もし人間がガソリンを体内でエネルギーに変換できたなら、ペットボトル1本のガソリンで一週間は楽に生き残れる。

木も同じように良く燃えてガソリン程ではないがカロリーもある。木は食べることが出来る。食用となっている木もあるし、食用じゃなくても枝程度なら咀嚼して胃に流し込む事が出来る。しかし木は人間のエネルギーにはならない。肉100グラムと木100グラムを燃やしたら木の方が長く燃えるが肉のほうが圧倒的に人のエネルギーになる。

燃やし方や人間が食べるとしたらの変換効率とかが関係しているのだろうか。
まあ単純に同じ質量の大木があったとして、それがある一点に向かって板のような形状で倒れてくるのと、トンカチのような形状で倒れてくるのでは破壊エネルギーが違う。等々・・・・・・。

今まで述べたことはどこかの物理学だか熱力学だかの教科書に明確な論理や式として基礎みたいな立ち位置であるのだろう。
所詮文系の自分にとってはエネルギーとかカロリーの話などは畑違いだったのかもしれない。しかしこんな風に身近なものから想いをめぐらす行為は楽しいものであった。

完全なチラ裏として終わり。












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