2013年7月16日火曜日

104day 火とは何か

普段何気なく見る「火」

多くの人はガスコンロで見るだけかもしれないが、焚き火の火をじっくりみていると色々と想うコトがある。

その中で、火とはいったいなんだろうかと思った。

理系の話をしようというのではない。解明された現代の知識は忘れよう。19世紀ぐらいの視点で火をみて、もっと奔放に、出来れば情緒的に火とは何かを考えたい。

話の切り口として一応の現代からの視点として、火は現象であるらしい。

「火」という物質は存在しなく、物が燃焼している時に見える現象だという。

燃焼とはどういう事だろうか。物質、例えば木が高温になると火が付く。めらめらと燃えて薪の数が多ければ火柱が立ち上る。

だけど燃焼しないものもある。鉄をはじめとした金属がそうだろう。石とか、無機物がそうだ。

なら火を起こすのは有機物という事になるか。炭素が混じっているのが重要なのだろう。

しかし、マグネシウムはどうだ。凄い火花をだし、花火に使われる。マグネシウムは燃えるのだ。

まあ色々とあるのだろう。

もっと、何も考えずに火をみよう。燃えている焚き火だ。書いてみて思ったが燃えていない焚き火など存在するのだろうか。それについて考えるのも面白そうだが奔放すぎるのでやめておこう。

焚き火。木に火がついている。木を入れると火がうつり、木はやがて灰になる。

物の形を変えるにはエネルギーが必要だ。単純に、10キロの木を灰にするためにはそれに見合った火が必要である。総量としては長時間燃え続ける程の火だ。10キロの火を投入するのだ。

しかし実際に用意する火はマッチ一本でいい。マッチ一本、それを木に引火させれば後は火を注いだりしなくても勝手に木が火を大きくする。結果としてマッチ一本で10キロの木を灰にする事が出来る。

木のエネルギーを使っているからとか、空気中の酸素を使っているからとか、マッチ一本が10キロの木を灰にするのに理屈の通る説明はいくらでもあるだろう。

だけど自分は不思議に思う。火という存在を。現象などという言葉で片付けられたくない。木の上で生き続ける火という存在を思う。

昔の人が火に精霊がいると思ったり、火を神様と崇めたり、そういうのもわからなくはない。

火は理屈ではない魔力がある。

そう思ったのだ。

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