2013年7月14日日曜日

103day 人は潜在的に良い事をしたい

エコというブームがある。環境を考えるのは将来的には自分にとってプラスになる事も多
いだろう。

しかし一人の規模で考えれば例えばゴミの分別をしたところで大した影響はない。むしろ個人単位で考えるならば分別するよりも一緒くたに捨てた方が時間の節約になる。

なのに人は分別をはじめとしたエコの活動をすると良い気分になる。これは人は潜在的に良い事をしたいという気持ちが働いているからだと考える。

これはエコに限らず「良い事」の話である。

人は常に色々な選択を迫られる。仕事のことから夕飯のおかずまで。

正しい選択をしたいと考えるが、多くの場合その選択が正しいという確証を掴む事は出来ない。

後になってそれが正しい選択だとわかったら人は良い気持ちになるだろうし、それが間違った選択だとわかったら残念な気持ちになる。

ここで「良い事」の登場である。

社会的、常識的に「良い事」というのは大凡正しい。いや、正しいと信じられる魅力を持っている。

よって「良い事をした」→「これは正しい事だ」→「良い気分だなぁ」となるのである。


問題はその行動が本当に「良い事」なのかどうかだが、個人がそれで良い気分になれるならばきっとそれは「良い事」なのだろう。

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