2013年7月30日火曜日

109day 逆上がりが出来なくなっている・・・・・・?

早朝徘徊、もとい早朝のランニングを近くの中央公園でしていたら鉄棒をみつけた。

こりゃいいやと思いとりあえず懸垂をしてみた。
消防でも自衛隊でも懸垂は重要だと思ったからだ。

特に消防では懸垂のテストがあって、最低でも10回はこなせるようになっておきたいところだ。

しかし、結果は2回だった。それもぎりぎりの2回である。

1回目から「あ、無理くさいなこれ」という気持ちがわきあがり、
2回目にして「あ、無理だこれ」となった。

その後も暫く懸垂にトライしてみたけれど筋力を消耗しているのか1回で限界になった。

そんなに長時間やったわけではないけれど掌にマメが出来そう(出来た?)になった。己の皮膚の軟弱さにも愕然とした。

ひとまず懸垂は置いといて鉄棒を使って他の事をしてみようと思った。

鉄棒にぶら下がり色々な態勢をとる。体操選手がよくやっているようにぶら下がったまま足を地面と平行になるように腹筋でピーンとやるポーズを試したけれど全然出来なかった。

本気になれば一回ぐらい出来ると思ったけど全くだった。いくら気持ちがあっても体が無ければ出来ない事を実感した。

そして次に初心に戻ろうと逆上がりをしようとした。

鉄棒の前に立ち、暫し思案する。

(あれ、逆上がりってどうやるんだっけ)

鉄棒を逆手に持って、なるべく体を鉄棒から離さない様に、くるんと回る。

1回は出来た。しかし1回で体の色々な所に負荷を感じた。2回連続は無理だと思った。

次に空中逆上がりの姿勢になってみた。

小学生中学生のころは空中逆上がりなんて連続で何回も出来たものだ。

しかし、トライするまでもなく、これは無理だと悟った。

懸垂にしたって、逆上がりにしたって、小学生の頃の方が出来たのではないだろうか。

己の体の衰えに愕然とした。

そうして蚊に6か所刺され、僕は帰宅したのである。


2013年7月26日金曜日

108day 高校野球って青春だね~

夏の高校野球を見ていたんですよ。

なんだか夏の高校野球ってプロ野球よりも面白いよね。

予選は0対8とかそんな試合があるけど、そんな中でも頑張ったり、
県の準決勝あたりは良いスコアになって、ほんとどう転ぶかわからない試合展開とか、

本当に面白い。

何よりもテレビに映っている高校球児達はさ、今青春の真っただ中なんだなあって思うと、本当に輝かしく、羨ましくも思う。

まあトーナメントだからさ、負けた高校はそのまま高校野球の終わりになるんだけど、そんな姿もまた青春だと思う。

ただテレビを見ていて思ったのがさ、なんだか全然違う世界に住んでいるように感じるんだよね。

芸能人が違う世界に住んでいるとか、そういうニュアンスじゃないんだよ。むしろ芸能人の方がまだ同じ世界に住んでいるように思える。

現実離れしてるんだよなあ。

僕はテレビを見終わったら家でだらだらしているだけだけどさ、

負けた高校球児は、悔し涙を流して、なんやかんやそれを乗り越えて、そして残りの夏の青春を過ごしていくんでしょう。あわよくば女の子にモテたりしてね。

そういう高校球児が部屋でアイス食べてだらけるのと、僕がアイス食べてだらけるのとでは、全然違うんだよなあ。

やっている事は同じなのに、高校球児の方が100倍夏の青春なんだよなあ。

なんなんだろうなあこれは。

一応僕も大学4年生だからさ、大学生なりの夏の青春の過ごし方ってあると思うんだよね。

ただそれと高校はやっぱり違うのかなあって。

高校の夏っていうのはさ、なんか本当に、理想の世界に限りなく近いものなんだよなあ。

理想の世界なんて厨二っぽくいったけどさ、意味は全然違うけどイデアの様なもので、

詳しい説明はしないけどさ、僕はそこに至りたいんだよなあ。

これは割と真面目な人生の目標だからさ、ちょいと次の機会に詳しく話そうかな。

おしまい


2013年7月20日土曜日

107day 今日って全国的に終業式だったんだね

終業式、明日から夏休み。

小 中 高で12回の夏休みの始まりを経験したけど、「やったー!!夏休みだー!」って感じじゃなくて、「あれ? ホントに夏休み?」っていうあっさりとした始まりが多かったな。

それでも夏休みは嬉しいもんさ。

大学生にも夏休みはあるけど、四年にもなり、前期は週一のゼミしか大学いってないから、正直春休みが続いている感じなんだよね。まあ大学は人生の春休みというから今のうちに謳歌しておけという事なのか。

でもまあ、メリハリが大事なんだろうなあ。月曜から金曜まで6時間目と部活をやって、っていう生活から、一気に夏休みになる。それはテンション上がるし、非日常の訪れだよね。

色々な夏を過ごした。

僕が過ごした夏は人と比べてどうだったのだろうか。彼女と夏祭り、なんてリア充的な夏休みはなかったけれど、田舎のおばあちゃんの家に行くとか、キャンプとか、旅行とか、墓参りとか、一般的な夏休みは経験出来たと思う。

今はもう、田舎のおばあちゃんはいなくなって、土地も手放したから昔みたいに縁側で西瓜を食べる事はないんだけどね。

子供の頃の思い出っていうのは確かに残っているもんなんだなあと思った。

「思い出を作ろう」なんて言葉が、メディアから生活圏まであらゆる所で取り上げられてきて、「良いコト」の様に言われていたけども、うん、実際にそれは本当に宝物になったと思う。

まあ、もうちょっと色々出来たかなっていうのはあるかな。

もし将来子供が出来たなら、色々な思い出を作ってやろう。そう思うあたり、大人になってしまったんだなあ。

今年の夏、就職もあるけど、最後の時間のある夏だと思うから、悔いの内容に過ごしたい。


2013年7月18日木曜日

106day 早生まれは数学が苦手

僕は数学が大っ嫌いであった。

数学の教科書のねじりつぶし、出題者の顔をグーパンしたいと思ったほどに、中学高校時代は数学が嫌いだった。

その発端がなんだったのかはわからない。

小学生の頃から算数が苦手というのがあり、そこから苦手意識が芽生えたのかもしれない。

これは一般的に当て嵌まるかわからないけれど、僕は早生まれ(1~3月生まれの子)だったので、小学一年生の頃は物理的に脳の成長が他の子より遅れていたのだろう。

子供が論理的な考え方を習得するのは小学校一年生の頃というが、早生まれの子は医学的に見ても論理的な考えに追いついていないのである。

まあ、これはただの一説だ。三月生まれでも算数数学が得意で大好きという人はごまんといるだろう。

一度統計的に見てみたいものである。

ともあれ、僕がそういった身体的ハンデから算数に苦手意識を持ち、そして運の悪いことに二年生になっても中学生になってもその苦手意識が治らなかったので結果的に数学が苦手な文系となったのだ。


そして今日の話だが、僕は食塩水の問題をマスターしたのだ。

……それは中学レベルではないか?

その感想はもっともである。しかし僕は中学の頃からこの問題が大っ嫌いで、一切勉強をしなかった。簡単な、例えば濃度10%の食塩水100グラムの中に食塩はどのくらいあるか? という問題は習わなくてもわかったが、もっと複雑になるともう考えるのが嫌になってしまった。

食塩水の問題が出来なくても生きていける。そう思って僕は今まで食塩水の公式などを知らずに大学四年生まで生きて来られた。実際に食塩水の問題は生きていく上でなんの必要もなかった。

しかし、就職活動で食塩水の問題が出たのだ。ここにきて立ちはだかるか。僕はその会社を嫌いになって商品の不買運動をする程の嫌悪感を味わったのだ。

そうして迎えた今日、ふと何の気なしに自衛官の試験内容を見ていたら数学の分野で食塩水の問題がでる可能性が高いとあった。まだ自衛隊に骨を埋めるかは決まっていないが、試験は受ける予定である。いよいよ食塩水と向き合う時がきたか。

そう思って僕は食塩水の問題の解き方をググった。

その結果5分でマスターした。

公式も一瞬で理解した。どんな問題が来ても僕は食塩水の問題を解けるだろう。

こんなに簡単だったのか。食塩水どころか、僕は数学というものを凄く簡単に思える様になった。

ちょろい、ちょろすぎる。一体自分を含め世の中の中高生は3年も6年も費やして何を学んでいるのだろうか。中学生の数学の範囲は1日あればマスターできる。1日だ。応用問題を100点とかは難しいが、真っ白な状態からでも1日あれば7割は取れる。そう思える程に数学が簡単に思えた。

思えば僕は常に1年遅れた脳で数学に接してきたのだ。脳の成長がピークを迎えた今、数学を簡単に思える事が出来る。遅生まれの子は常に中学時代この様な感覚だったのだろうか、それは中々羨ましいコトである。

嫌悪感にまで至った苦手教科の数学であったが、実は一番簡単な教科だったのだ。

この事実にもっと早く気づいていれば何か変わっただろうか。もう少し勉強に対するモチベーションが上がっていただろうか。

いや悔やむことなどない、数学が出来なくて困った事は試験以外ではないし、どっちにしろ僕は文系に行っていただろう。

しかしまあ、あれだけ立ちはだかっていた食塩水がこんなだったとはなあ。なんだか世界に対する見方が変わったような経験だった。

2013年7月17日水曜日

105day 平成狸合戦ぽんぽこは名作

ジブリの作品にランクを付けるとしたら、自分はトップ3に入れるほどぽんぽこは名作だと思った。

というのも最近の金曜ロードショーでぽんぽこを見たのだが、昔見た時とはまるっきり違う衝撃を受けた。

昔はラピュタとかナウシカとかそういう冒険譚みたいなものが好きで、ぽんぽこはなんか能天気でイモ臭いと思っていたが、この歳になってみるぽんぽこは涙が出そうになる程感動したのだ。

単純に失われていく自然のテーマも共感した。

これは昔見た時からわかっていた事だし、多分ぽんぽこを見た殆どの人は感じた事だろう。

多摩ニュータウン開発における里山の減少。自然破壊を訴えるアニメだった。

多摩ニュータウンに行ったことがあり、身近な場所として感じる自分にはよりいっそうの共感を呼んだ。

ただぽんぽこは単純に自然破壊や人間の業を訴えた作品ではない。

作中にたびたびでるたぬき達の能天気さが最大の魅力だと思う。食いっけがあり、歌い、恋し、おどる。

子供のころはそういったものは特になんとも思わなかったのだが、大人になってそういう無邪気な楽しさを見ていると心がいやされるのと死にたくなるのといろいろな感情がこみあげてくる。

能天気さや自然破壊、人間の業、それ以外にもぽんぽこに秘められたテーマは多い。例えば人間を嫌いながらもハンバーガーや文恵美の利器などに群がるたぬきは「滑稽」の文化を象徴しているようにも思えるし、アメリカナイズドされた日本人を照らし合わせることもできる。ぶんた達が最後に特攻精神で玉砕したのも少なからず戦前戦後の日本人の精神も反映されているだろう。

私たちの視点、たぬきの視点、作中の人間の視点、また色々な考えをもつたぬき一匹一匹の視点で見るとこの作品は非常に多角的な文学的要素を含んでいる。

ジブリアニメでなく普通の小説として発表されていても必ずやヒットしただろう。それほどに素晴らしいストーリーと物語の描写であった。

もちろんそこにジブリの描写力が加わった事でアニメ映画屈指の名作となっている。

クライマックスのシーンで残ったたぬき達が力を合わせて昔の多摩の里山の姿をよみがえらせるシーンがある。そう見えるだけの幻ではあるが、そのシーンは究極の懐古と言えるシーンであった。


平成狸合戦ぽんぽこ。素晴らしき映画だった。

2013年7月16日火曜日

104day 火とは何か

普段何気なく見る「火」

多くの人はガスコンロで見るだけかもしれないが、焚き火の火をじっくりみていると色々と想うコトがある。

その中で、火とはいったいなんだろうかと思った。

理系の話をしようというのではない。解明された現代の知識は忘れよう。19世紀ぐらいの視点で火をみて、もっと奔放に、出来れば情緒的に火とは何かを考えたい。

話の切り口として一応の現代からの視点として、火は現象であるらしい。

「火」という物質は存在しなく、物が燃焼している時に見える現象だという。

燃焼とはどういう事だろうか。物質、例えば木が高温になると火が付く。めらめらと燃えて薪の数が多ければ火柱が立ち上る。

だけど燃焼しないものもある。鉄をはじめとした金属がそうだろう。石とか、無機物がそうだ。

なら火を起こすのは有機物という事になるか。炭素が混じっているのが重要なのだろう。

しかし、マグネシウムはどうだ。凄い火花をだし、花火に使われる。マグネシウムは燃えるのだ。

まあ色々とあるのだろう。

もっと、何も考えずに火をみよう。燃えている焚き火だ。書いてみて思ったが燃えていない焚き火など存在するのだろうか。それについて考えるのも面白そうだが奔放すぎるのでやめておこう。

焚き火。木に火がついている。木を入れると火がうつり、木はやがて灰になる。

物の形を変えるにはエネルギーが必要だ。単純に、10キロの木を灰にするためにはそれに見合った火が必要である。総量としては長時間燃え続ける程の火だ。10キロの火を投入するのだ。

しかし実際に用意する火はマッチ一本でいい。マッチ一本、それを木に引火させれば後は火を注いだりしなくても勝手に木が火を大きくする。結果としてマッチ一本で10キロの木を灰にする事が出来る。

木のエネルギーを使っているからとか、空気中の酸素を使っているからとか、マッチ一本が10キロの木を灰にするのに理屈の通る説明はいくらでもあるだろう。

だけど自分は不思議に思う。火という存在を。現象などという言葉で片付けられたくない。木の上で生き続ける火という存在を思う。

昔の人が火に精霊がいると思ったり、火を神様と崇めたり、そういうのもわからなくはない。

火は理屈ではない魔力がある。

そう思ったのだ。

2013年7月14日日曜日

103day 人は潜在的に良い事をしたい

エコというブームがある。環境を考えるのは将来的には自分にとってプラスになる事も多
いだろう。

しかし一人の規模で考えれば例えばゴミの分別をしたところで大した影響はない。むしろ個人単位で考えるならば分別するよりも一緒くたに捨てた方が時間の節約になる。

なのに人は分別をはじめとしたエコの活動をすると良い気分になる。これは人は潜在的に良い事をしたいという気持ちが働いているからだと考える。

これはエコに限らず「良い事」の話である。

人は常に色々な選択を迫られる。仕事のことから夕飯のおかずまで。

正しい選択をしたいと考えるが、多くの場合その選択が正しいという確証を掴む事は出来ない。

後になってそれが正しい選択だとわかったら人は良い気持ちになるだろうし、それが間違った選択だとわかったら残念な気持ちになる。

ここで「良い事」の登場である。

社会的、常識的に「良い事」というのは大凡正しい。いや、正しいと信じられる魅力を持っている。

よって「良い事をした」→「これは正しい事だ」→「良い気分だなぁ」となるのである。


問題はその行動が本当に「良い事」なのかどうかだが、個人がそれで良い気分になれるならばきっとそれは「良い事」なのだろう。

2013年7月12日金曜日

102day びっくりするぐらい暑い

暑い。ただそれだけの記事であり有用な事を書くわけではない。

昔は暑さも好きだったさ、今も条件によっては好きだよ。

その条件っていうのがさあ、まあ外で遊んで、そして家に帰ったらすぐにシャワーなりなんなり浴びる事が出来る様な状況なんだよね。

思い出すなあ、東北の祖母の家に行った時、田舎の山道なりを駆けて、そして帰ってきたらシャワー浴びて麦茶飲んで。

そういう子供時代が僕にもあったんですよ。あったんですよ。

もう祖母も死んで、僕が子供や孫を作ったとしても、田舎に土地なんて持ってないから多分そんな経験を与えてやれないと思う。

そういう子が増えていくのかなあ。でも将来はそういう子に夏の縁側の素晴らしさを伝えていきたいんだ。


とまあ理想の暑さを語ったところで、嫌な暑さって言うのがやっぱり用事なりなんなりで外に出る時だよね。特に就職活動の時とかね。

でもすぐに家に帰ってシャワー浴びられるし、会社員と違って数時間で済むからまだマシな方なんだろうね。

まあ、暑いのは一般的に不快だけどさ、そういうのも楽しんでいきたいなと思います。

冷房を効かせた部屋の中から。

おしまい。

2013年7月11日木曜日

101day 【World_of_Tanks】新しく対戦ゲーム始めた時に思うコト。

ここ二日WOTという戦車ゲームをやってました。

ここ二日という言葉を分解すると、ここ二日で約17時間はやっていました。

昨日とか一日中やっていました。余りにもハマってしまったので昨日自制の為にアンインストールしました。

そんなWOT。

リアルな戦車戦が楽しかったり、装甲厚い敵だと貫けなかったり、隠蔽率意識しないと敵に一方的に発見されたり、中々知識によって実力が左右されるゲームだと思います。

僕はミリタリーは興味ありますが戦車の種類の知識は全然だったので、最初はわけわかめでした。敵KV-1に破壊されました。と出ても一体どんな奴に破壊されたのかわかりません。

でも慣れてくるうちに、KV-1=強い重戦車。傾斜装甲貫通できねえ逃げろ。 へっつぁーたん=可愛くて強い駆逐戦車。前面装甲で弾かれる。砲の威力も警戒。小さい。可愛い。 とか色々と知識が付きました。

まだ始めて二日なのにそこそこの知識が付いたという事は、このゲームを一ヶ月もやれば戦車通に慣れそうです。

まあアンインストールしたんですけど……。 色々とひと段落したらまた始めたいと思います。
それぐらいヤバイゲームでした。


さて、新しく対戦ゲーム始めた時に思うコト。でありますが、最初は楽しく、ある程度熟練すると惰性になったりすると思うんですよ。FPS然り戦車然りその他対人ゲーム然り。そんな変遷を下の図にまとめてみました。
因みにここでいう上級とか達人とかは一般ゲーマーのなかでの事です。プロゲーマーは達人の3ランクほど上にいます。



初心者           初級者         中級者       上級者            達人
よくわからないよ~  慣れてきた楽しい  上を目指そう…  あーこれで負けるかあ。  悟り。

【初心者】
この時は全然わからなく、下手するとここでやめてしまう時もあります。でも成長も早い時期なのであまり気にしない。

【初級者】
慣れてきた時、まだ味方にとってプラスになっているかわからないけどプラスの行動を出来た時は嬉しい。死んでも初級者だからショウガナイヨネという心を持てる。色々試行錯誤する面白い時期。

【中級者】
Wikiをはじめとした知識を本格的に得てきてゲーム内でもそこそこ活躍できる時期。初級から中級への移り変わりの時期が一番面白いと思う。反面中級から上級へ行こうとすると思い通りに行かない時もあり『遊び』から『修行』へと変わる時でもある。

【上級者】
勝つことや味方への貢献など当たり前になる時期。自分がいたからこのチームが勝ったと言える程の実力を持つ。上級中盤では反面味方のミスやマイナス行動にイラつきを覚えてしまう時期でもある。
ここらへんから人によっては勝つことが目的となりうまくいかないと激おこしちゃうかも。あと上級者なのにという自負がやられた時のショウガナイヨネという許容の心を阻害する。

【達人】
悟りの域。
その戦場でのトップスコアを狙おうと思えば獲れる域。味方がマイナス行動をしてもショウガナイヨネという許容の心を持てる。この辺りまでくると「息抜きにちょっくらゲームすっかあ」→無双。というゲームを遊びだけでなくストレス解消の手段として使えるようになる。反面飽き気味でもある。


この様に一番面白いのは初級~中級辺りなんですよねえ。達人の域も面白いんですけど、勝って当たり前になっているので、あんまり勝利の喜びはないんですよ。負けるよりは嬉しいけど、やっぱり初級の頃の勝利の快感には及ばないものがあると思うのです(モンハンでも作業的にリオレウス倒すより一番最初に倒した時の方が凄く嬉しかったでしょう)。


なので対人ゲームをやる時は「お、面白くなってきた」という初級~中級でやめるのも一つの手かもしれません。達人の域にいくまでに凄い時間を費やしてしまいますしねえ。まあ中級~上級あたりで上手くなろうと動画の研究している時も面白いのですが。


最終的に対戦ゲームというのは勝つ時もあれば負ける時もあるので、どっちも楽しめるプレイを出来た人が本当の勝利者ですね。

という感じでおしまい。















2013年7月7日日曜日

100day 七夕とか、あと100回記念

百回めの更新となりました。何日かサボった事もあるので始めてから既に100日は過ぎてますが。

100かぁ、早いような、順当なような。まぁこんなもんでしょう。

そいで今日は七夕。何かをタダで願えるお得な日。

何を願おうか。願い事は二つある。一つはこの前出した文学賞のこと、もう一つは就職のこと。

仮に一つしか願えないとしたらどちらを願おうか。

これは自分の人生を左右する命題だと思うのです。

小説家か一般就職か。どちらに重きをおくかという。

まず就職してからでいいじゃない。そう考えられるけど、なんだかそんな心意気は弱気な感じがする。守りに入ってる。価値ある勝利はリスクの先にという言葉もある。

あぁしかしどちらだろう。でも明日面接だから、それを願おうか。

僕は願い事っていうのは何か自分の知らない力が働くとは一切思ってない。

願った事によるプラシーボ効果的なものだと思っている。

だから既に出して自分が関与出来ない文学賞より、明日の面接を願ったのでした。

おしまい

2013年7月4日木曜日

99day 握力の話

最近前に買ったハンドグリップで握力を鍛えている。握力というより前腕の筋肉を鍛える為に始めたのだけど。

ネットを見ながらグッグッグっと、心なしか前腕が太くなってきた様な気がする(腫れてるだけ?)

なぜ前腕を鍛えるか? それは、

筋肉があり体ががっしりしている人は説得力や安心感がある→僕はひょろひょろなのでせめて普通の筋肉を付けたい→でも普段は胸や二の腕なんてあまり露出しないよね→前腕は露出する事が多い→ハンドグリップで前腕鍛えたら筋肉ある人に見えるんじゃね?

という理由です。

でもぶっちゃけ見た目以外に前腕太くなって握力強くなったら何の役に立つの? と思ったが色々役に立つようだ。

まず握力×スピード×体重=破壊力という花山薫理論は……置いといて、単純に重いものを持つ時に役に立つ。

重いものを持つって力こぶで有名な上腕の方がいいんじゃないの? と思われるけど、まあ確かに上腕は大事、けど物をがっしりと掴めると感じる重さが全然違う。 そもそも重い物を持つ時の辛さって言うのが、

物を持ち上げる力(単純な腕力)+物を支える力(重心の保ちやすさ)=実際に感じる重さ

となる。スーパーの袋を思い出してほしいけど、重いあのビニール袋をそのまま持つとビニールが手に食い込んだりして非常に持ちづらい。そして袋を支える事に力を使ってめっちゃ重く感じる。

けど袋に取っ手を付けたりタオルを巻くと全然重く感じない。なんて事があるだろう。

握力とはそういう事。重い物を持つ時非常に役に立つ。握力と腕力は掛け算の様なもので、

腕力10×握力2=20 の人より 腕力5×握力5=25 の方が総合的な力は強いのだ。

滅多にないかもしれないけど崖に捕まったりとか津波に流されないとか、そういった時に握力は命を左右する力でもあるのだ。

以上諸々の理由から握力を鍛えるのは有効な事なのだ。

まあ僕は元となる腕力も弱いんですけどね。

おしまい。

98day ロイヤルホストって安くなったんだね

多分1週間?ぶりの更新。小説を文学賞に出す為に書いていてブログを書く暇がなかった。といっても30日締切だから1~3日はサボりであった。なんだか文字を書くのが疲れてしまった。けどこういう時に嬉々として書けるのが小説家になれるんだろうなあ。

といったところでロイヤルホストのお話。
ロイヤルホストってさ、僕ら庶民からすればそこそこお高いファミリーレストランってイメージだったんですよ。

少なくともロイヤルホストとサイゼリアは同レベルではないよね。
有名どころで言うと ロイヤルホスト>デニーズ>ガスト>サイゼリア みたいな価格帯。

でもなんか最近安くなったらしくて家族で行ったんですよ、ロイヤルホストに。あとなんかカードで一割引きだったからね。

価格を見るとハンバーグが1000円ぐらい。ドリンクバーやライスサラダセットを付けると税込で1500円以下だった。

貧乏性の自分としては1500円っていうのも少し高いなと感じてしまうけど、それでもとても高いというわけではない。ガストでも同じメニューを頼めば1200円ぐらいになると思う。

まぁ味も美味しくてそれなりに満足したんですよ。でも味や値段以上に少し気付いた事があるんだね。

それは客層が違うって事。まあ当たり前かもしれないけど、サイゼリアは学生がワイワイくるような感じで、ガストは学生とファミリーが入り乱れる感じ。デニーズは社会人がいる様な感じ。ってファミレスによって客層が違いますよね。

ロイヤルホストは少し裕福な人達って感じの客層だった。世間に疎い自分でもこの歳になったら人の服装である程度の身分はわかる。決して大金持ちではない、小金持ちでもないかもしれない、ただ裕福そうで、なんというか安定感があった。金銭面での人生の安定感。そういうものがロイヤルホストの客層から感じられた。(ズボンとシャツ一枚で行って少し場違いかなと感じたのは内緒。でもファミレスならシャツ一枚でいいよね)


ここからはロイヤルホストというより僕の人生観の話になる。

僕は昔は貧富にはあまりこだわりを持たなかった。教科書か何かの受け売りで貧しくても心は豊かになれるとかそう考えていた。ボロアパートでもパソコンがあれば小説は書けるし、金の掛かる趣味は無かった。

でも21歳という年齢になって、特に大学での人付き合いとか、コンビニでのバイトの経験を通して貧富について具体的な知識を得た。

傲慢な言い方になって恐縮だが、あえて言うと「貧しき者は出来ない事が多く、富める者は出来る事が多い」そう実感した。

いや当たり前でしょう。あえて言う事でもないでしょうと思われるけど、僕は最近それを強く思っている。

裕福ならば、美味くて健康に良い物が食えるし、良いとこに旅行に行って良い旅館に泊まってそれなりの経験を出来る。別に安い宿が悪いわけじゃない。安い宿は好きだ、なんなら野宿でも。ただそういうのは金が無くても出来るが、良い旅館とか、金が掛かるものはやっぱり金を持ってないと実現出来ない。

1年の間に安い宿に5回泊まるより、安い宿1回 普通の宿2回 良い宿1回 高級ホテル1回とか泊まった方が色々な経験も得られるだろう。

ある程度金が掛かっているものは宿に限らず、品質やサービスが良い。また文化的でもある。

何やら金の亡者みたいな言い方になってしまったけど、何も富豪になりたいわけじゃない。あくまでも日本の中流階級の話だ。「最低限の余裕ある金」がないと文化的なものを享受する機会すらなくなってしまう。あえて具体的な例を出すなら、日雇い労働で稼いだ金でコンビニ飯を買い、食って寝てまた仕事にという生活は嫌なのだ。

もっと黒い事を言うならば、サイゼリアで食べる様な生活レベルではなく、気軽にロイヤルホスト程度は入っていける生活レベルになりたいのだ。

今は父親の庇護があるからその金で僕はある程度美味いものを食える。

問題は就職して独り立ちした後、僕は父親と同程度稼げるのかという事だ。マイホームを買って、息子を2人大学卒業させて、外食も気兼ねなくいける。そんな人間になれるのだろうか。

なる。というよりそれ以上になる。父親を超えるのは当然の事だ。金を稼ぐのだ。

と、まだ内定が決まっていない僕が言っているのであった(自嘲)

おしまい。