2013年6月20日木曜日

94day ストレスを溜めなければならない

良いコトは覚えていて、嫌なコトは忘れやすい。

人間によくある事だと思う。

少なくとも自分はそうである。

「嫌な事は寝て忘れる」「過去の栄光に縋る」「嫌な事も思い返せばいい思い出」

嫌な事にいつまでも拘っていたらストレスが溜まるだけだから、ポジティブに生きる為には大事な事なのかもしれない。というよりそういう本能があるのかもしれない。

流石にトラウマになる程の嫌な記憶はそうそう忘れないが、普通の嫌な事も完全には忘れない。

ただ時間が立てば「傷が癒えた」と表現するように「そういうこともあったなあ」となって前へ進んでいく。

自分はそういうのが得意である。得意過ぎるのかもしれない。

嫌な事があっても「これも良い経験だ」とか「あまりこだわらないようにしよう」とか「心頭滅却すれば火もまた涼し」なんて言ってうまくダメージを引きずらない様にしてきた。

でも大きなミステイク(FF6セッツァー

自分には勝負で負けて悔し涙を流した事がない。

一つのエピソードとして、小学校のバスケットボールの試合。負けたチームメイトの何人かは泣いていた。子供心ながら、無く程の事かと思っていた。

それは彼らが真剣にバスケに取り組んでいたからであり、それ故に悔しかったのだろう。泣いた彼らは努力をする方で、高校の頃はいい成績だったりそこそこのヒエラルキーだったり、大学4年の今何をしているか自分は良く知らないけどきっと良い感じの所にいるのだろう。

何やら努力の話になってしまったが、言いたい事は自分はあまり悔しさを感じなかったから、それをバネに頑張ろうと奮起する事がなかったという事だ。

何か嫌な事があっても、それを合理化してポジティブに受け止める。自分の長所だと思っていた事だけど、実は致命的な短所だったのだ。

つまり悔しがらなければならない。この前の記事で話題にした「飢えなければならない」というのに似ているが、「飢え」が目的を渇望する目なら、「悔しさ」はそこへ至る為のバネだ。

だからもう少し感情を出して悔しがっていこうと思う。今まで同期で内定をもらった人が何人かいたが、自分はそれに多少の焦燥感を抱きながらも「おめでとう」などといった賛辞を送っていた。「業界が違う」「時の運」「為る様に為る」そんな事を思って別段気にしない様にしてきた。

違うんだ。色んな要因はあるけど、自分より早く内定を取られたら悔しむのが普通だろ? 嫉妬したり、内定者がこれから過ごす残りの人生の春休みにこん畜生と言うのが普通だろう? くそうって壁を殴ったりするもんだろう? それをバネに自分も頑張ろうって奮起するんだ。

嫌な事を合理化して肯定する心なんて、ニートが働きたくないから俺はこのままでいいんだ。って言っているのと何も違わない。

なので、

ス ト レ ス を 溜 め な け れ ばな ら な い

ストレスとは感情のガソリンだ。溜めこんだら淀み腐ってしまうが、本来は昇華させるものだ。

目的の為のエネルギーにするのだ。

ストレスを感じよう、良いストレスをだ。悪いストレスというは、延々と黒板をひっかく音を聞かされたり、隣の家の目覚まし時計がずっと止まらずに安眠妨害されたり、無意味な罵倒を受け続けたりと心に重い負担となるような重油の様なストレスだ。

良いストレスは「悔しい」という想いがあるものだ。

暫くは試験的に、自分を誤魔化さずに、悔しいと思っていこう。

おしまい。

※筋トレ
腕立てって本当に効果あるのかな

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