2013年6月17日月曜日

93day まるでドラマみたいとか ファンタジーみたいとか 〇〇みたいとか

昨日友人と二人でお酒を飲んだんですよ。僕はまあお酒は強くないから家に帰ってから凄く酔っていて、吐いたり頭痛かったりして昨日はブログが書けなかったんですけど。

最初は居酒屋で飲んでたんだけど、なんかうるさい店だったし、途中から「二人ならコンビニで酒買ってどっかで飲んだ方が安くて楽しめるんじゃね」となってコンビニ寄って近くの中央公園で飲む事にした。

時間は夜10時くらい。公園は野球とサッカーが一度に出来るぐらいのグラウンドがあって、そこの錆びれた野球スタンドに腰かけて飲み始めた。

その公園は子供の頃によく遊んだ場所で、今こうやって友達とここで酒を飲んでいるというのは、なんだか青春だなあ。と感じた。

それと同時にある疑問も感じたんですよ。

この「青春だなあ」という感想。なにやら置換的な感じがしてね。

例えばウユニ塩湖をみて凄く幻想的で、「ファンタジーみたい」って言う様に
例えば高級ホテルのレストランで花火と共にプロポーズされて「ドラマみたい」って言う様に
或いは徹夜で仕事をして「苦労しているサラリーマンだなあ」とか。
或いは音楽聞きながら電車に揺られて「JPOPのPVみたいだなあ」とか。

自分が生活している一瞬一瞬に、「まるで〇〇みたい」と思うような事はないだろうか。

つまりは自分が感じている場面をステレオタイプな場面に置換している様な事だ。

それは良いコトなのかもしれない。夜に公園で酒飲んでまるで青春だなあ、って思うと悪い気はしないし、素晴らしい景色を見てファンタジーの世界にきたみたい!って言ってもそれはそれでファンタジー気分を味わえていいだろう。

だけど自分が感動する場面を全てステレオタイプに置換されて持って行かれるのは癪な気がするのだ。

誰かに植え付けられたイメージに置換するよりも、自分のそのままの感情、レンズで捉えて感じたい。

そう思うのだった。

おしまい。

※筋トレ
惰性

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