2013年9月12日木曜日

112day バトルシップという映画を観た

アメリカのパールハーバーで同盟国同士で演習してると、宇宙からエイリアンの艦が降ってきて戦闘になるあれです。日本とアメリカが共闘します。

エイリアンの母艦がバリアを張ってパールハーバー周辺に外から一切干渉できなくなって、中に残された主人公たちの3艦だけで戦うという、無理やり海戦に持ち込むような設定ですが海戦はやっぱり面白いなと思いました。

この映画は海戦の映像も凄いのですが、それよりも面白いなって思ったのはストーリーの組み立てや小ネタの多さです。

最初にエイリアンの艦が出た時→「なんだ、中国か?」
エイリアンの艦が攻撃してきた時→「北朝鮮だ!」

この様にジョークの様な政治ネタも突っ込んできます。

あと嘘か誠かわかりませんが、日本が過去のアメリカとの演習で20年間、気象研究所の気象ブイの波長で敵艦の位置を特定していた。という極秘戦術を教える時も面白かったです。

ストーリーの組み立てではちゃんと序盤に使った伏線や言葉を終盤できっちり回収してました。映画は意味の無い場面は無い。という言葉がありますが、ちゃんと全ての場面をストーリー全体に絡めるのはうまく出来ているなと思いました。

あと一番良かったのは退役した戦艦や老兵が活躍するシーンです。

敵の艦を倒したが最新鋭のミサイル駆逐艦も轟沈してしまった→もう出来る事はないのか→記念艦として港に戦艦ミズーリあるで→でもこんな骨董品俺達には動かせねえぜ!→……ワシらに用かの?

よくありますがこういう展開は燃えますね。前時代の遺物が活躍するのは熱い。ミズーリは日本でいう大和や長門の様なものでしょうか(全長はほぼ同じ)。アメリカの人も相当興奮したことでしょう。

わけあって戦艦ミズーリでオアフ島にある宇宙に電波を送信するアンテナを狙うのですが、その時に日本の老兵が「オアフを撃つのか?夢みたいだ」と言っていましたが、これは第二次大戦の時の日本のパールハーバー奇襲と掛けているのでしょう、そういった小ネタも面白いです。

思い返してみれば退役した軍人や艦が活躍しつつも、これからの時代を担う若者達が成長していく物語でした。


以上が良かった感想です。ここからは少し気になった点も。

・エイリアンの技術レベルと攻撃方法が合って無い。
→エイリアンは地球まで来れる宇宙船技術を持っていて、その宇宙船もなんだか凄いテクノロジーが使われている様に見えます。しかし主な攻撃方法は投射式の爆缶のみ。一応飛来し転がりながら物を破壊するトゲ鉄球の様なサブ武器もありましたが、基本は爆缶を投射するのみ。駆逐艦の対空火器で迎撃出来るレベルです。そこはレーザーとかじゃないの?と思いましたが、レーザーだったら一瞬でこちら側が負けてしまいますね。シカタナイネ。

・エイリアン歩兵の装備がしょぼい。
→ヘイローみたいなアーマードスーツを纏っていますが、基本的な攻撃は爪状の武器だけです。銃の様な遠距離攻撃は無く、スーツの力で超パワーを持っているかと思ったら義足の退役軍人にやられるレベルでした。一応敵側としては無意味に人を殺さない主義らしいので、なんらかの制限があったのかもしれません。というか敵艦もこちらが攻撃するまで攻撃しませんでしたし、主人公たちが攻撃しなければ被害は出なかったのでは・・・?まあそういう考察もSF映画の楽しみですね。

・日本必要?
→確かこの映画が上映されていた時は、日本とアメリカがタッグを組んでエイリアンと戦う。なんて煽り文句が多かった気がします。自分もそれを思ってDVDを借りました。そして日米のタッグなのですが、序盤で駆逐艦妙高はアメリカの援護をしたら敵に狙われて轟沈。主人公のホッパー大尉と犬猿の仲だったナガタ一佐がホッパーの艦に乗り込み、あれこれ助言をしたり指示をしていました。
 犬猿の仲だった二人が協力し合って敵を倒す。というのはタッグの王道ではありますが、こう、自分が想像していたのは日本の艦とアメリカの艦が共闘して戦うイメージでして、ナガタ一佐が一人だけアメリカの艦に乗り込んだだけでは、なんだかゲスト出演の様な感じがします。小ネタとかで日本との絡みはありましたが、ストーリー的には多分日本がいなくても、アメリカだけで成り立ったんじゃないでしょうか。


とまあ気になった点はこんな所です。

実際はそれほど気になりません。あえてケチを付けようとしてみただけで、全体的にはとても面白く、良作と言えます。人に薦められるレベルです。なんか気持ち良いSF戦争映画みたいなーと思ったらお薦めします。

以上チラシの裏でした。




2013年9月6日金曜日

111day ブログの名前変えました。

ブログの名前を変えました。どこが変わったかは初見の人でも推測できると思います。

はい。毎日更新を頑張っていたのですが、消防官の試験勉強が本格化すると途切れました。

勉強に集中するため半分、勉強しかしてないから書くことがない。みたいな感じで一ヶ月まるまる更新をストップしました。

消防官の試験は25日に終わったのになぜこんなに更新が遅れたか。25日以降に一気に予定があって忙しかったというのもありますが、一日一記事出来なかったらやめると銘打っていたから、一ヶ月も更新しなかったら潔くやめるか。とか思ってブログを開く事さえしませんでした。

しかし今日ふとブログを見てみたら、なんとコメントがありました。それも一か月前の。

一ヶ月も無視した事になって申し訳ないと思う気持ちと、見てくれる人もいるんだなぁと思いました。

思えば自分が自衛官なり消防官なりの情報を集める時に、意外とお世話になったのがこういった個人ブログでの体験記でした。

自分の体験が来年の誰かの為になるなら、更新を続けてみるのもいいかな、と思った次第です。

とこんな綺麗な事を言っても、多分更新される記事の9割が個人的な日記であったり、駄文、散文、チラシの裏。となるでしょう。

しかしブログを一ヶ月やめて、日々の日記を付ける事は一応一日のメリハリを作ってたんだなあ、と思ったりもしました。

だからあまりかっこうをつけず、深いコトを考えず、これまで通りチラシの裏的な記事を更新していこうかなと思いました。まる

2013年8月5日月曜日

101day 手書きの小論文の難しさ

5日くらい放置していたブログ。
しかしそれには理由がある。消防官の試験の為に勉強をしていたのだ。

その試験の中に小論文もあり、今回はその小論文についての注意点を書いていきたいと思う。

しかし注意点は数多くあり、自分が至っていない点も数多くある。

それらを書いていては長くなってしまうのでここでは手書きの小論文について思った事を書いていく。

①漢字が出てこない
まず思った事がこれである。多分大学の論述式の試験でも同じような経験をした人は多いのではないだろうか。パソコンの便利さにどっぷりと浸かった身としては一朝一夕では克服できない。他の言葉で言い換える事も出来るが、その場合は簡単な言葉になるパターンが多く、論文として稚拙なイメージを与えてしまうのである。それにどうしても代用できない言葉も存在する。

では漢字の勉強をしなければならないのか。

いや、何も漢字書き取りをする必要はない。この問題の対処法はひたすら小論文を書くことである。

小論文において自分が使う言葉はある程度決まっている。エピソードを自分の過去から掘り起こす様な問題ならばそのエピソードはある程度固定化されるし、「地球温暖化問題解決に向け、温室効果ガス排出量削減のために行政として取り組む事」なんてテーマならばテーマに重要な漢字は殆ど入っているし、小論文はそれらの語彙が入れ替わったに過ぎない。実際に使う漢字は少ないのだ。

ならば何回も小論文を手書きで書いて覚えてしまうのが簡単だ。何より小論文の練習にもなる。
漢字についてはこの解決策で大丈夫だろう。

②書き直しが容易にできない
パソコンでレポートや小論文を書くときは間違ってもすぐ消してすぐ書き直す事が出来る。文の間に言葉を入れる事も出来るし文章を丸々コピーして後半にペーストする事も可能だ。

しかし紙に書く場合はそういう事が出来なくなる。書き直し一つとっても致命的なタイムロスになるだろう。
ゆえに論の構成は書く前にきちんと決めなければならない。
自分は今までレポートとかは書いているうちに新しい案が浮かんで、それを加えて再構成して~なんて書くパターンが多かったのだが、これを根本から改める必要があるようだ。

まあ書く前にきちんと構成を決めるというのはパソコンで書く場合でも重要な事だと思うので、しっかり身に付けておいて損はないだろう。

試験は1時間半で800~1200文字。最初の10分をブレストや構成にあてて残りの80分で書くのがベストだろう。構成がしっかりしていればしているほど実際に書き出した時も詰まる事が少ないので構成は本当にしっかりと決めてから書こうと思う。10分をオーバーしてもいい。

③字の綺麗さ汚さ
字が凄く綺麗だから合格!という事はないだろうが、読みやすさや字から受ける印象はどうしても採点する側の気持ちを左右するだろう。綺麗な字で書かれた文章なら好意的に読もうとするし、汚ければ読む気が失せてしまう。綺麗な字で損をする事はない。

しかし残念ながら自分の字はあまり綺麗とは言えないのだ。というのも左利きという事が関係していると思う。

左利きでも字の綺麗な人はいる。そんな反証をする前に聞いて欲しい事がいくつかある。

まず字は右利き用に作られている。当たり前の事だ。人が誕生してからずっと一定して9割の人が右利きなのだ。字も右利き用になる。右利きで簡単に綺麗に書けるとめ、はね、はらいも、左利きにとっては押して書く、あるいは逆に書く事になるのだ。(小学生の頃にとめとかはらいとか言われたけど、正直先生が何を言っているのか全く理解できなかった)

右利きで書いた字が普通であり綺麗とされる世の中で、左利きが書いた字がいびつに見えるのには何の不思議もない。どんなに注意しても力の掛け方が違うのだから出来上がる形も違うに決まっているのだ。

それでもまだ言うだろうか。左利きでも字の綺麗な人はいると。確かに綺麗な人はいる、それは認めよう。しかしそれは僅かであり、かつ字がもの凄く綺麗な人だ。

つまり綺麗な字を書く右利きの人を70レベルぐらいだとすると、同じくらい綺麗に見える左利きは100レベルぐらいの実力なのだ。同じ100レベルの右利きには敵わない。また当然そのレベルの人は僅かである。

本当に左利きで綺麗な人を知っているのなら、その人の字をよく見てみるといい、「はねやはらいが不自然ではないか?」「左利きにしては綺麗といっているのではないか?」

仮に完璧に綺麗な右利きの字を左利きで再現していたとすれば、それは字ではない。絵である。その人の類まれな才能と努力によって獲得した芸術なのだ。当然その様な事は普通の左利きの人には出来ないし、また出来たとしても膨大な努力が必要となるだろう。

ではどうするか、左利きは泣き寝入りなのだろうか。

いや、綺麗な字が書けないだけで汚い字しか書けないわけではない。

丁寧に書けばそれなりに見える字になり、ちゃんと心も伝わるはずである。

(それでも就活中に履歴書の字を見てはらいとかが出来てないって言った会社があったけど、潰れろって思ったね割とマジで。潰れろ)

と最後が恨み節になったところで今日はおしまい。

明日はもっといい日になるといいね、ハム太郎。

ヘケッ

2013年7月30日火曜日

109day 逆上がりが出来なくなっている・・・・・・?

早朝徘徊、もとい早朝のランニングを近くの中央公園でしていたら鉄棒をみつけた。

こりゃいいやと思いとりあえず懸垂をしてみた。
消防でも自衛隊でも懸垂は重要だと思ったからだ。

特に消防では懸垂のテストがあって、最低でも10回はこなせるようになっておきたいところだ。

しかし、結果は2回だった。それもぎりぎりの2回である。

1回目から「あ、無理くさいなこれ」という気持ちがわきあがり、
2回目にして「あ、無理だこれ」となった。

その後も暫く懸垂にトライしてみたけれど筋力を消耗しているのか1回で限界になった。

そんなに長時間やったわけではないけれど掌にマメが出来そう(出来た?)になった。己の皮膚の軟弱さにも愕然とした。

ひとまず懸垂は置いといて鉄棒を使って他の事をしてみようと思った。

鉄棒にぶら下がり色々な態勢をとる。体操選手がよくやっているようにぶら下がったまま足を地面と平行になるように腹筋でピーンとやるポーズを試したけれど全然出来なかった。

本気になれば一回ぐらい出来ると思ったけど全くだった。いくら気持ちがあっても体が無ければ出来ない事を実感した。

そして次に初心に戻ろうと逆上がりをしようとした。

鉄棒の前に立ち、暫し思案する。

(あれ、逆上がりってどうやるんだっけ)

鉄棒を逆手に持って、なるべく体を鉄棒から離さない様に、くるんと回る。

1回は出来た。しかし1回で体の色々な所に負荷を感じた。2回連続は無理だと思った。

次に空中逆上がりの姿勢になってみた。

小学生中学生のころは空中逆上がりなんて連続で何回も出来たものだ。

しかし、トライするまでもなく、これは無理だと悟った。

懸垂にしたって、逆上がりにしたって、小学生の頃の方が出来たのではないだろうか。

己の体の衰えに愕然とした。

そうして蚊に6か所刺され、僕は帰宅したのである。


2013年7月26日金曜日

108day 高校野球って青春だね~

夏の高校野球を見ていたんですよ。

なんだか夏の高校野球ってプロ野球よりも面白いよね。

予選は0対8とかそんな試合があるけど、そんな中でも頑張ったり、
県の準決勝あたりは良いスコアになって、ほんとどう転ぶかわからない試合展開とか、

本当に面白い。

何よりもテレビに映っている高校球児達はさ、今青春の真っただ中なんだなあって思うと、本当に輝かしく、羨ましくも思う。

まあトーナメントだからさ、負けた高校はそのまま高校野球の終わりになるんだけど、そんな姿もまた青春だと思う。

ただテレビを見ていて思ったのがさ、なんだか全然違う世界に住んでいるように感じるんだよね。

芸能人が違う世界に住んでいるとか、そういうニュアンスじゃないんだよ。むしろ芸能人の方がまだ同じ世界に住んでいるように思える。

現実離れしてるんだよなあ。

僕はテレビを見終わったら家でだらだらしているだけだけどさ、

負けた高校球児は、悔し涙を流して、なんやかんやそれを乗り越えて、そして残りの夏の青春を過ごしていくんでしょう。あわよくば女の子にモテたりしてね。

そういう高校球児が部屋でアイス食べてだらけるのと、僕がアイス食べてだらけるのとでは、全然違うんだよなあ。

やっている事は同じなのに、高校球児の方が100倍夏の青春なんだよなあ。

なんなんだろうなあこれは。

一応僕も大学4年生だからさ、大学生なりの夏の青春の過ごし方ってあると思うんだよね。

ただそれと高校はやっぱり違うのかなあって。

高校の夏っていうのはさ、なんか本当に、理想の世界に限りなく近いものなんだよなあ。

理想の世界なんて厨二っぽくいったけどさ、意味は全然違うけどイデアの様なもので、

詳しい説明はしないけどさ、僕はそこに至りたいんだよなあ。

これは割と真面目な人生の目標だからさ、ちょいと次の機会に詳しく話そうかな。

おしまい


2013年7月20日土曜日

107day 今日って全国的に終業式だったんだね

終業式、明日から夏休み。

小 中 高で12回の夏休みの始まりを経験したけど、「やったー!!夏休みだー!」って感じじゃなくて、「あれ? ホントに夏休み?」っていうあっさりとした始まりが多かったな。

それでも夏休みは嬉しいもんさ。

大学生にも夏休みはあるけど、四年にもなり、前期は週一のゼミしか大学いってないから、正直春休みが続いている感じなんだよね。まあ大学は人生の春休みというから今のうちに謳歌しておけという事なのか。

でもまあ、メリハリが大事なんだろうなあ。月曜から金曜まで6時間目と部活をやって、っていう生活から、一気に夏休みになる。それはテンション上がるし、非日常の訪れだよね。

色々な夏を過ごした。

僕が過ごした夏は人と比べてどうだったのだろうか。彼女と夏祭り、なんてリア充的な夏休みはなかったけれど、田舎のおばあちゃんの家に行くとか、キャンプとか、旅行とか、墓参りとか、一般的な夏休みは経験出来たと思う。

今はもう、田舎のおばあちゃんはいなくなって、土地も手放したから昔みたいに縁側で西瓜を食べる事はないんだけどね。

子供の頃の思い出っていうのは確かに残っているもんなんだなあと思った。

「思い出を作ろう」なんて言葉が、メディアから生活圏まであらゆる所で取り上げられてきて、「良いコト」の様に言われていたけども、うん、実際にそれは本当に宝物になったと思う。

まあ、もうちょっと色々出来たかなっていうのはあるかな。

もし将来子供が出来たなら、色々な思い出を作ってやろう。そう思うあたり、大人になってしまったんだなあ。

今年の夏、就職もあるけど、最後の時間のある夏だと思うから、悔いの内容に過ごしたい。


2013年7月18日木曜日

106day 早生まれは数学が苦手

僕は数学が大っ嫌いであった。

数学の教科書のねじりつぶし、出題者の顔をグーパンしたいと思ったほどに、中学高校時代は数学が嫌いだった。

その発端がなんだったのかはわからない。

小学生の頃から算数が苦手というのがあり、そこから苦手意識が芽生えたのかもしれない。

これは一般的に当て嵌まるかわからないけれど、僕は早生まれ(1~3月生まれの子)だったので、小学一年生の頃は物理的に脳の成長が他の子より遅れていたのだろう。

子供が論理的な考え方を習得するのは小学校一年生の頃というが、早生まれの子は医学的に見ても論理的な考えに追いついていないのである。

まあ、これはただの一説だ。三月生まれでも算数数学が得意で大好きという人はごまんといるだろう。

一度統計的に見てみたいものである。

ともあれ、僕がそういった身体的ハンデから算数に苦手意識を持ち、そして運の悪いことに二年生になっても中学生になってもその苦手意識が治らなかったので結果的に数学が苦手な文系となったのだ。


そして今日の話だが、僕は食塩水の問題をマスターしたのだ。

……それは中学レベルではないか?

その感想はもっともである。しかし僕は中学の頃からこの問題が大っ嫌いで、一切勉強をしなかった。簡単な、例えば濃度10%の食塩水100グラムの中に食塩はどのくらいあるか? という問題は習わなくてもわかったが、もっと複雑になるともう考えるのが嫌になってしまった。

食塩水の問題が出来なくても生きていける。そう思って僕は今まで食塩水の公式などを知らずに大学四年生まで生きて来られた。実際に食塩水の問題は生きていく上でなんの必要もなかった。

しかし、就職活動で食塩水の問題が出たのだ。ここにきて立ちはだかるか。僕はその会社を嫌いになって商品の不買運動をする程の嫌悪感を味わったのだ。

そうして迎えた今日、ふと何の気なしに自衛官の試験内容を見ていたら数学の分野で食塩水の問題がでる可能性が高いとあった。まだ自衛隊に骨を埋めるかは決まっていないが、試験は受ける予定である。いよいよ食塩水と向き合う時がきたか。

そう思って僕は食塩水の問題の解き方をググった。

その結果5分でマスターした。

公式も一瞬で理解した。どんな問題が来ても僕は食塩水の問題を解けるだろう。

こんなに簡単だったのか。食塩水どころか、僕は数学というものを凄く簡単に思える様になった。

ちょろい、ちょろすぎる。一体自分を含め世の中の中高生は3年も6年も費やして何を学んでいるのだろうか。中学生の数学の範囲は1日あればマスターできる。1日だ。応用問題を100点とかは難しいが、真っ白な状態からでも1日あれば7割は取れる。そう思える程に数学が簡単に思えた。

思えば僕は常に1年遅れた脳で数学に接してきたのだ。脳の成長がピークを迎えた今、数学を簡単に思える事が出来る。遅生まれの子は常に中学時代この様な感覚だったのだろうか、それは中々羨ましいコトである。

嫌悪感にまで至った苦手教科の数学であったが、実は一番簡単な教科だったのだ。

この事実にもっと早く気づいていれば何か変わっただろうか。もう少し勉強に対するモチベーションが上がっていただろうか。

いや悔やむことなどない、数学が出来なくて困った事は試験以外ではないし、どっちにしろ僕は文系に行っていただろう。

しかしまあ、あれだけ立ちはだかっていた食塩水がこんなだったとはなあ。なんだか世界に対する見方が変わったような経験だった。