2day
当時はそんなに面白くなかったアニメでも、時を経てMADなどで見かけると名作に見えたりする事がある。
人の記憶が美化されるように、過去の作品もまた美化されているのだろうか。
しかし「美化されているんだ」という意識を持って偏見を捨てて見てみても、やはり面白そうに感じる(完全に偏見を捨てきれていないという可能性は大いにあるが)。
これに関して三つの仮説(要素?)が挙げられる
一つ目は「過去の空気も一緒に味わっているから」である。多くの人がそうかは知らないが、僕は過去の辛い記憶を思い返しても嫌な気持ちにはならない。過ぎてしまった事だし、そもそも嫌な事は忘れやすいタチなのかもしれない。しかし楽しい記憶は沢山覚えていて、思い返すと「あの時は楽しかったなあ」と懐古厨の如く懐かしみ手を伸ばしてみたくなる(これ自体が過去の美化だけども)。
こんな風に過去の空気に触れると懐かしくなるもんだから、過去のアニメを見ると間接的に過去の美化に触れて、そして面白そうに感じるのではないか。
二つ目は「時の試練に耐え残った作品だから」である。そもそも本当につまらない、心に残らない作品というのは覚えてさえいないんじゃないだろうか。そして覚えていたという事は何かしら「心に残る部分があった」という事になる。
時の試練という言葉はどこかの新書で見た言葉で、本来はゲーテとかニーチェだとかそういったはるか昔の書の事を指すのだけど、五年や十年前のアニメに言っても同じだと思う。
三つ目は「自分の変化あるいは成長」である。当時はわからなかった哲学的メッセージだとか、キャラの気持ちを必要以上に想像してみたりだとか、そういった自分の変化によってわかる新たな「魅力」の発見によって過去の作品が面白そうという感想を抱くのだ。
これはなかなかに信憑性のある仮説だと思う。当時はOPで糞アニメと判定し、やべえ見るアニメ間違えたかな……と思うようなキルミーベイベーでさえ、シュルレアリズムを通り越したニヒリズムなギャグだと考えれば、それなりに肯定出来る気がする。
と色々書いてみたけど結局のところ自分が懐古厨なだけなのかもしれない。今でも高校が舞台の教室に夕日が射すような青春小説を書きたいんじゃあ~。当時考えた先輩キャラのヒロインよりも、四歳以上も年上になったけども、あの人は自分よりも深遠な考えを持っていて、今でも導いてもらいたいという気持ちが残っていたりする。現にたまに想像の中で先輩と会話してるけども、やっぱりちゃんと作品にして世に出したいなあって気持ちがあるんだなあ。
後半は本当にチラシの裏になったなあ。今日はおしまい。
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